Story
mong curry ができるまでとこれから、
店主 mong の過去を振り返りながら、そして未来を想像しながら
「はじまり」
昔からカレーが好きでした。
小学生当時は、カレーといえばバリエーションは一択、「家のカレー」
オカンが作ってくれる、白ご飯にぽってりしたルーがどさっとかかった、あのほっこりする味。
外で食べるといえば、ごくたまに口にするフードコートやサービスエリアのカレー。
そういったカレーが、当時の私には最高のごちそうでした。
今でこそカレーといえば日本のカレー、インドカレーをはじめ無数のスタイルがありますが、
当時(昭和の日本)には、そういった多様なカレースタイルを食べられる機会は、ほとんど存在していなかったように思います。
そんな私も成長し、大阪に居を構えて働きはじめたころ、
ふと気づくと世間はにわかにカレー色に染まりはじめていました。
2010年、大阪は第一次スパイスカレーブームの勃興期。
南インドカレー、スリランカカレー、欧風ビーフカレー、出汁香る和風カレーなどなど
大阪という街は、さながらカレーの玉手箱。
フタを開ければ、スパイスの香りと個性豊かな店々に吸い込まれていきました。
日替わりで店を巡りながら、
「今日はどんなカレーに出会えるんだろう」
そんなわくわくを感じる日々でした。
家のカレーこそが「カレーのすべて」な井の中の蛙だった私にとって、
大阪でのカレー食べ歩きは、胃袋と価値観を丸ごとひっくり返すような経験でした。
カレーは、こんなに自由で、こんなに多様で、
そして、こんなにも作り手の個性がにじみ出る料理だったのか。
その頃にはもう、食べるだけでは満足できなくなっていました。
「自分なら、どんなカレーを作れるだろう?」
気づけば台所に立ち、スパイスたちを前に腕を組む。
そんな日々が、静かに始まっていたのです。
「淡路島」
本格的にカレーと向き合うきっかけになったのは、淡路島への移住でした。
見渡す限りの海と空、豊かな自然。
2016年、当時都会に慣れきってしまっていた身体と心を鍛え上げるため、
「サバイバル力を高める」というテーマの元、
私と妻はここ淡路島は洲本にやってきました。
新しい土地、期待と不安入り混じる中、ふと暮らし始めて気がついたのです。
「あ、ここカレー屋ない、、」
そう、洲本市にあるカレー専門店は、たったの1軒(当時)
あの大阪の、無数のカレーがひしめき合う街からやってきた私にとって、
それは想像以上に大きな、そして地味にこたえる現実でした。
「まあでもカレー屋がないなら、作ればええか〜、なんやったら、これまで食べてきたどのカレーよりも、自分が食べたいカレーをつくろう!」
切り替えは割と早い方、それからの島暮らしはカレー作りとの二人三脚となっていくのでした。
幸いにもここは玉ねぎの島、そして山の幸海の幸、素晴らしい食材が揃う島。
新鮮な野菜、魚介、お肉、塩や調味料——
カレー作りにこれ以上ない環境です。
日々キッチンに立ち、作っては食べ、食べては作り、
深夜、寝静まった家で、そっと鍋を見守る時間もありました。
素材を研究し、味を確かめ、和洋中をはじめとする他の料理を学び、試行錯誤を重ね、
とあるマンションの一室が四六時中スパイスの香りで染まりきった頃、
気づけばそれは、ただ自分の胃袋を満たすための時間ではなくなっていました。
カレーを通して、少しずつ周りの人たちと繋がっていく——
そんな日々が、小さいけれど、確かに始まっていたのです。
「お店」
淡路島移住もそうですが、元来「直感」で人生の大半を決めてきた私、
大阪でカレー作りをしていた時から、実はちょっと頭にありました。
「淡路にいったらもしかしてカレー屋やるかもな…」と。
そしてそのタイミングは、思いのほか早くに訪れました。
2016年冬、ひょんなことから、ほんとちょっとしたきっかけから、
スナックの昼間を間借りする形で、mong curry 最初の営業が始まったのです。
そこからはとにかく無我夢中。
飲食店なんて、学生時代のマクドバイトくらいしか経験がなかった私が、
なんとか(比較的)まともにお店を構えて、日々カレーを出せるようになったのは、
ひとえに島内外のお客さん、そして手伝ってくれた妻のおかげです。
その間にはコロナ禍などもありましたが、
ありがたいことに着実に食べに来てくださる方も増え、
カレーを通して島の中での交流も深まっていきました。
「mong curry」
そんな中、カレーの味にも少しずつ変化が現れてきます。
日々飽きずに食べられる味、重く残らない食後感、
そして何より大切な「美味しさ」。
それらを追求していった結果、
大阪時代に経験してきたスパイシーで刺激の強いテイストから、
子どもからお年寄りまで食べられる、やさしく旨みの強いものへと移り変わっていきました。
それは糖度の高い玉ねぎをはじめとする豊かな食材を利用できること、
真摯にものづくりに取り組む淡路島の料理人さんや、
強いポリシーを持って臨む生産者さんとの出会い、
一般的に辛いものをあまり食べない淡路島の風土、
そして何より自分自身が2児の親となったこと、
そういった島での生活体験から導かれた必然の味のように感じます。
ふと、立ち止まってみると、そう、自分のルーツはやはり家のカレー、ほっとするオカンのカレーです。
原点回帰。数々の経験を経た結果、ぐるっと回って、最後はここへ帰ってくるのでした。
とはいえ、ここは再度のスタート地点。
2周目はもう始まっています。
カレーをまだまだ多くの人に届けたい。
すべての素材を淡路島でまかないたい。
できる限り持続的なカレー作りを考えたい。
孫の代までありつづけたい。
考えること、やっていきたいことはたくさん。
数十年後も淡路島に残り続ける味を目標に、
日々カレーづくりを行っていきます。
つづく